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言葉の質

何かを行う時、その行う事自体は誰でも変わりません。

たとえば、野球をするといえばプロであろうと素人であろうと、野球です。

けれどもプロと素人では歴然とした野球の質が違います。

それはお金の授受の問題ではなくて、行っている動作や所作の質自体が既に違うという事です。

何事もプロと同じような質をもって行えればそれに越した事はないのですが、それは圧倒的な才能の違いというかひとそれぞれがもつ性格の違いなど様々な要素が複雑に絡み合っています。

それでも何をするにしてもプロの質を求めて道を模索しようと人は努力します。

また、プロはそれ以上の質をもとめて模索しています。

何事を行うにしてもこの『質』が大切です。

よく禅僧は生涯をかけて、人生をかけて「坐る」といわれますが、それと同じように何事もそれくらいの覚悟をもって行って生きたいものです。

まあ禅僧の禅定とはまた全く違う世界のような気がしますが、それでも我々が生きているという事実を質の高いものにしたいものです。

それにしても、言葉の質というのは、それらの最少単位のように感じます。

・・・というような事を考え出すと、何処でおさまって良いのやら分からなくなりますね。

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2009.05.29 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

当教会・・・

私はよく他の教師の方々が使用する「当教会」という単語があまり好きではありません。

本当は「あまり好きではない」というのも柔らかすぎるのではないかと思うくらい好きではありません。

だから私は、何か文章を打ち込んで配布しなければならない時には、

「当教会」を「新明国上教会」と修正します。

それだけでもどこか「キリスト教会」のように感じられてしまうので、どうかとも思うのですが、それは単立宗派となってからのジレンマなのかもしれませんね。

2009.05.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

きたまくら

北枕に対して、本当は体にいいのだという話をよく聞きます。

けれども、私の家の位置から考えると、北枕にした場合・・・

新明国上教会の本堂に足を向けて寝る事になってしまうので、私の場合は本堂に頭を向ける姿勢で寝ています。

2009.05.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

新型インフルエンザ

自分では一概にして「風邪」だと判断していたものが意外にインフルエンザだった。

という場合以外、自分がインフルエンザに罹る可能性はないだろうと思います。

しかし、最近年に一度は「新型インフルエンザ」という言葉を頻繁に聞くような時期が増えてきまして、それに今年はどうやら世界的大流行を起こす寸前まできている「新型インフルエンザ」が日本のニュースで昨今聞かない日はないくらいになってきました。

どうやら「マスク」も品薄のようですね。

私はというと、新型インフルエンザではありませんが、ここ一ヶ月くらい扁桃腺が腫れてしまっていたようで、大好きなキセルもなかなか喫煙できないような状態が続いていました。

今では、回復したようですが、キセルを使おうとするとどうもダメ。

そんなわけで、今月はちょくちょく休みを頂いて、家で安静にしているような状態の日が二~三日ありました。

そんなわけで、更新もお座なりになって、今月の言念導も5月下旬にさしかかった今日、更新しました。

大変遅れてしまいまして、申し訳ありません。

・・・・・・・・・・・・と、そのような事を考えたりしていたら、新明誌を編集する時期が差し迫ってまいりました。

原稿の締め切りは一応、6月10日(水)という事にしております。

今回、発行する新明誌は、信徒の皆様の体験談を中心にして作りたいと考えております。

世界の経済状況が百年に一度の大不況だと、様々な方向から不安を煽られる世の中ですが、今が普通の状態で、以前の状態の方が無駄が多くてどうしようもない時期だったのだと考えれば、これからいかようにも飛躍する伸びしろがあるはずです。

いや、絶対にどこかに飛躍のきっかけは隠れているはずです。

そんなわけで、約一ヶ月近く巨大なエヘンムシに悩まされていたような状態でしたが、扁桃腺の腫れの具合もよくなってきたようですので、そろそろ久しぶりに飲みに出かけようかと考えている今日この頃です。

あ・・・まだカラオケは無理かもしれませんね(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっ

2009.05.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

とりとめもなく書いたメール

保存メールによくこんな感じに所感をつづったりします。

慇懃無礼という言葉がある。

自分も含めて現代の若い人達には、どこか心にもなく、言葉だけでも丁寧にしようとしたり、頭を深く下げればいいというような傾向があるように思う。

いわば、上っ面だけ繕っているような傾向がある。

自分はといえば、人の事をいえた義理ではないが、慇懃無礼になるくらいならば、心からの言葉で誰に対しても話そう、あいさつをしようと心がけている。

意味もわからずただ「丁寧なように見えたり、きこえたり」するだけのうわついた所作や言動よりも、まだ心ある不器用なあいさつをしたい。

それに、うわついた所作や言動が感じられるような人は大抵、影で何を言っているかわかったものではない。

だから私は自分に対する戒めとして、朝のあいさつ「おはようございます」や「おはよう」を大切にする。

朝の気分は人それぞれだけれど、朝、起きた瞬間から否応なく他人と接触しなければならないからだ。

最も、私にとっては一人でいても覚醒している限り、他人と接触しているのと同じ気持ちでいたい、そのような自分でいたいと、いつも反省の日々だ。

ちょうど、悟空と悟飯が神様の神殿にある精神と時の部屋から出てきた時、常にスーパーサイヤ人状態を維持できるように修行したのと似ているけれど、いつ誰がどんな気持ちで話し掛けてきても、心あるあいさつがしたい。

そんな大きな事を言っていても朝、

「うぃ~す」

とか、

「おぃ~す」

とか言っている自分がいる、そんな自分に気付く時も、気付かない時もあるけど、そんな自分に気付いた時は一日中へこむ。

自分で書いておいてわかるけれど、わかりにく所感だなと感じてしまったけれど、

あ~そんなことを考えていた時期があったなぁと感慨深くもなります。

・・・もしかしたら、とりとめもなく同じ内容のブログを書いているかもしれませんがねw

(´・ω・`) (´・ω:;.:...(:;....::;.:. :::;.. .....

2009.05.01 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

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佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
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