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十五日会

今日は十五日ですね。昭衆です。

毎月十五日は新明国上教会『十五日会参拝会』の日です。

この日は神殿祈願後、新明会館4階にて言念導のお取り次ぎがあります。

今日の教師の方はあまり言念導が得意ではない方だったので心配でしたが・・・

やはり「得意ではない」という感じのお取り次ぎでした。

もうすこし言念導の中身を理解した方がよいようです。

もっと贅沢をいえば、これは自分にも言い聞かせて常に意識している事なのですが、

「自分の言葉に言念導を染み込ませるような意識」

が大切だと思います。

それと・・・

もう少し姿勢を正して座った方がいいようですね・・・

・・・・・・・・・・・・とはなかなかいえない・・・

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2010.10.15 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

勉強法

勉強法で悩める昭衆です。

楽器の練習法は私にとっての勉強法に他ならないのですが、楽器の勉強法というのはほぼ他人にとっては意味のない音の羅列にしか聴こえなかったりします。

それに試験といえば「実技」

確かに筆記試験も経験していますが、より「実技」の記憶の方が僕の中では勝っているのです。

だから私にとってのニュートラルな勉強法としているのは片っ端から本を読む事であると位置づけています。勝手に。

でも、専門的な知識を取り入れるような本は読んでいません。

というか「読めません」

難しくて・・・

だからと言って、

「井の中の蛙、大海を知らず」

とか、上から目線で言うつもりはありません。

むしろ、誰が言ったか知らないですけれど、

「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る」

なんて言葉にわくわくしてみたりします。

「新明国上教会の教師」という役目を行う中には、和楽器が結構ありますから、音楽を勉強するそれと同じようなところがあるような気がします。

楽器を扱う事は音を出す事で、どうすれば効率的かつ美しく音を響かせるのかが問題なのですがね・・・

2010.10.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

不思議なモノリス

というのにパスワードが記されていて、中断できたファミコンジャンプが結構好きだった昭衆です。

そういえば、僕の大好きなジブリアニメ「風の谷のナウシカ」の原作で出てきましたね。

あれは確か人類の叡智を集めt・・・・夏至と冬至に何行か浮き出t・・・

あの読後感が結構好きなのです。

でも、ネタバレしてしまうので、興味があるかたは是非風の谷のナウシカの原作を読んでみて下さい。


いやその、夏至と冬至と言わずに、時々、本当に時々、「新明誌」の1号から現在までの文章を1ページずつ新明国上教会のホームページにアップしていったら面白いかなと考えたのです。

でも、古い新明誌は古い新明誌の雰囲気を残したまま、いじれないようにPDF化しようかなと。

2010.10.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

八幡宮の例大祭

昨日今日と地元宿河原の八幡宮の例大祭です。

昨日は神殿当番だったので早く寝てしまいましたが、昭衆です。

昨日は例大祭の中でも夜宮(多分この字だと思います)だったのですが、あいにくの雨。

雨が降っていなければ、神殿当番だとしても行っていたかもしれませんが、雨で体力が奪われてしまうと明朝の神降ろしに支障を来しそうだったので早々に就寝しました。

以前ならば、お呼びがあれば参加しないでもなかったのですが、体力がなくなったのですかね?

と、ここでは書いておきますが、時と場合によりますよねwww

おっと草が生えてしまいましたね。

ぷwww


草むしりする人に見えます。

それにしても早朝の雨はすごかった(´・ω・`)ア~

そういえば、神降ろしも10月から30分遅くなったのですが、その分、仏飯器に自分でご飯を盛る行ができる時間ができるので、色々な意味で楽しかったりします。

炊き立てのご飯の香りが大好きなもので、私。

自分も楽しいですし、普段、仏飯器にご飯を盛って頂いている方にとっても、少しは負担が減る(?)事ではないかな?

とかごちゃごちゃと勝手に解釈してご飯を盛ってました。

基本は「炊き立てのご飯の香り」のためです。

炊き立てのご飯の香りがあれば、ご飯一杯いけそうなくらい、ご飯が大好きな昭衆です。

2010.10.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

錫杖バリエーション つづき

昨日の続きですが・・・どうも昭衆です。

錫杖バリエーションについて書こうとしていたのに、どうも最近愚痴っぽくなっていけないですね。

反省です。

それでは直に錫杖バリエーションについて。

錫杖を習う時には必ず、

「一つ、二つ、三っつっつ」

というように振れと教わります。

この「一つ、二つ、三っつっつ」というのは非常に厄介なリズム。

口で言うのと、体(腕)で刻むのとでは、全然違います。

「一つ、二つ」と「三っつっつ」というのは同じ長さ。

だから「一つ、一つ、一つ、一つ」でも同じように触れてしまうのです。

おそらく「三っつっつ」の解釈の仕方で、てんでんばらばらな状態になっているのだと思います。

しかも、一回身に付けてしまったものを修正しようとしても、もう誰が何と言おうと駄目みたいです。















と、何だかまた愚痴っぽくなってしまいましたが、


最近の傾向としては右手で錫杖を振る時の違いが云々・・・


よりも!


錫杖を降っている時の左手の形の方が重要。


という事です。


皆さん、錫杖を振る時の左手がお留守になっていませんか?

2010.10.05 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

錫杖バリエーション

錫杖は因縁を切る道具で、古代インドでも本来の用途は武器であったと思われる。

神仏具全般、よりもはば広く宗教で使用される道具全般に言えることかもしれないですね。

何かに色々なものがひっついたり、なくなったり、またひっついたり、ひっついたものにひっついたり、ひっついたものにひっついたものだけ残して、もともとひっつかれていたものがなくなったり、して現在の形になっているもの多くあると思います。

新明国上教会で使用される御道具は、単純明快。

数も少なく、人によっては一生縁の無い道具もあります。

たとえば、私がよく話しする声螺や太鼓。

あ!でも!

大祭時の導師が護摩壇(新明国上教会での呼び方もあります)で使用する御道具についてもありますが、導師だけは会長様教主様の思し召しで任命されるので別問題です。


単純明快ながらも、使用方法以外にいろいろありますが、普段使用する御道具。

だからこそ、覚えるのが大変だったりします。

何か一つ基本を覚えたら、何か一つ基本を忘れるという繰り返し。

そして一番厄介なのが何か一つの基本を忘れた時、何か一つの基本については自信過剰になってしまう傾向があるようなのです。

基本から応用、そしてまた基本に戻ってくるのならばいいのですが、基本しかできないと基本の亜種というとんでもない矛盾したものが生れてしまうようです。

そして、一番いけないのが、「私はこのように聞いたから」「私はこうしろと教えられたから」。

確かにそれはそれでいい事ですし、大先輩から教えを受けた事を羨ましくも感じます。

でも、それだけでは駄目。

「私はこのように聞いたから、このように練習して、自分の体に覚え込ませた」

というのまでなければならないと思うのですがね・・・

続きはまた今度

2010.10.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
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