FC2ブログ

持鈴の事

本当の事を言うと、それが悪口みたいに聞こえてしまう時ってあるよね。

どうもしょうしゅうです。

持鈴というお道具があります。

字の如く、鈴です。

経文の区切りの部分で振られるのです。

でも、よく聴くと振り方に「癖」があります。

因みに私は、グッと引きつけて振ります。

実はこの振り方は昨年亡くなられた石井盛利教師の振り方です。

私の尊敬する先生で、今も気付けば「よう!」なんて出てきてくれそうな気さえします。

ですんで、尊敬する石井先生の持鈴の振り方を後世に残そうと思った……

訳ではありません。

ただ一番「自然」で「美しい」と思ったまでです。

たぶん、だめだろ!って師匠の言われたら直します。

ここで一番重要なのは「直せ」と言われた時に「直せる」環境を残しておくことです。

私の場合、引きつけるとは言いましたが、要は、

「リン      リン」
とあげるところを
「        リンリン」
ってあげてるだけとイメージして振っています。

あ、本当のイメージを音で表現すると、
「チン      チン」はいいのですが、私の振り方だと、

・・・・・・ってなるので「リンリン」なんてコジャレた擬音を使ってみました。

いずれにしても、「臨機応変にな!」って石井先生に常々言われていたので、守っていきますよ!

〓しょうしゅう〓

スポンサーサイト

2015.02.28 | | Comments(0) | Trackback(0) | 御法

徒然日記

妹に徒然感がすごいと言われました。

どうもしょうしゅうです。

昨年辺りから「ぶっちゃけ寺」というテレビ番組が放映されていて、とても面白いから観てみるといいよと友人に勧められて何度か観てみました。

確かに面白いので連ドラ予約なるテレビの機能を使って、録画していたつもりが、どうやら特番バージョンの方を連ドラ予約していたみたいで全然録画しておらず、最近通常放送の連ドラ予約をし直しました。

その後、友人に感想をきかれたので、
「宗派は違うけど、何やかんやで仏教じゃん?結局は同じ根を持ってるから仲間って感じがしていいよね」
なんて事を話したら、
「出演している方の関係者あたりなら紹介できるかもしれないけど、どう?お互いにそれなりのリスクはあるかもしれないけど覚悟はあるかい?」
と言われました。

その時に
「おお!すげえな!よろしく!リスク?何それ?鼻がス〜ってするやつ?おいしいの?」
とか建前でも言っとけばよかったのに、
「うん、そういうのは縁だから、人にどうこうされる問題じゃないよ」
な〜んて言ってしまいました。

でも別に格好つけたかったわけではなくて、宗教に関する事なので、お互いにリスクがあるなら無理しない方が身のためだと感じて答えたのですが、ちょっともったいない事したかなとも思います。

〓しょうしゅう〓

2015.02.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

牛馬の経文

もうそろそろ春一番が宿河原にも吹きそうです。

「1、2、3、ダー!」

どうもしょうしゅうです。

新明国上教会には「牛馬の経文」と言われている経文があるのですが、馬の経文の疾走感、牛の経文の重厚感がたまらなく好きです。

特に馬の経文の疾走感が「馬!」って感じがして好きだったりします。

初めてこのお経をお唱えした時には、他の先生方がお唱えするスピードになかなかついていけなくて、途中でモゴモゴしたりして恥ずかしい思いをしたので、必死に覚えた記憶があります。

「必死」とはいえ、朝の勤行の前、奥の院を礼拝する時に牛馬の所で一唱するのを繰り返していただけですがね。

一唱だけなので、間違える場合がありますが、ちょっとでも間違えたら、もう一回はじめからやり直し…

など、音楽家がよくする変態的な練習をしていたら、朝の勤行が終わってしまうので、そこまでしていません。

間違えた部分を覚えておいて、家に帰った時に訂正。をちょっとずつ繰り返してました。

でも、実際に祈祷で行う時は間違わないように経本を見ながらお唱えします。

覚えてないだろ?

と言われると困ってしまいますが、何事も完全に覚えてしまった時点から変質、変容してしまい、とそれらが惰性に流されて「自分は間違いない」という凝り固まった部分が出てきて、それが定着してしまう可能性があるので、そこの部分は全体的に気をつけなきゃな、と常に思っています。

〓しょうしゅう〓

2015.02.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

アインザッツ

先般の「アインザッツ」とはどうやらドイツ語らしいいです。

どうもしょうしゅうです。

本日、宿河原は雨ですが、相変わらず事務所で色々仕事しています。

そういえば最近、「作務衣」を購入してみました。

冬用なので、裏地がフリースですこぶる温かいです。

温かさもさることながら、坊主なのでよく似合うらしく、今まで何で気づかなかったのだろうと言われました。

そういえば数年前まで、自分が坊主にしてしまうと、他の髪の毛を大切にしておられる方々に云々…

で頑なに坊主にしませんでしたが、いざ坊主にしてみると、頭の形や襟足の短さ、モミアゲがない、という坊主にするにはうってつけの条件に何で今気づかなかったのだろうと思ったのを思い出しました。

それにしても、坊主の条件というよくわからない言葉ですが、日本人はどこか宗教=剃髪というイメージが強いように思います。

先日「何宗は剃髪するの?何宗は剃髪しないでいいの?教会は?」等と聞かれたのです。

教会は基本的にその部分は自由で、きっちりしていれば良しとします。

但し、ヒゲは剃りましょう。

と教わりました。

考えてみれば、お釈迦様の螺髪を解けば、とんでもなくい長髪です。

それをきっちり整えているわけですから、「きっちりしていればよし」というのは理にかなっているように思うのですが、いかがなものでしょうね。

因みに私は坊主にしているのだから、一度剃り上げてみようと思い、会長様にお話しした事があるのですが、そこまでしなくていいよ、と笑われました。

ちょっとほのぼのした瞬間で、今でも思い出します。

〓しょうしゅう〓

2015.02.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

大祭の時の役目

事務所のエアコンは一昨年くらいから壊れてます。

暖房は効くけど、冷房はからっきし。

どうもしょうしゅうです。

大祭の時の役割には色々ありますが、どういうわけか私は一通りできます。

特に本来は女性の役割であるべきらしい『拍子木』もさせて頂いております。

大鐘が先か、経頭が先か、太鼓が先か、拍子木が先か。

実際には、

大鐘が鳴って、経頭と太鼓と拍子木が御真言を21回、お唱えします。

おそらくこの話を他の先生方にさせたら、例えば自分が経頭だとしたら、御真言を唱えている経頭が一番だ、と言われるでしょう。

また大鐘だとしたら、大鐘が初めに音を出すのだから、大鐘が一番だと言われるでしょう。

太鼓だとしたら、リズムを刻んでいるのだから、太鼓が一番だと。

拍子木だとしたら、いやいや拍子木だってリズムを刻んでいるのだから、拍子木じゃないか?

なんて、ここまでややこしい事にはならないと思いますが、それぞれがそれぞれを一番と思っているのは、よくわかります。

でも、どれも不正解。

全てがきっちりそろわなければなりません。

だから一人が揃わなければ、皆、ダメです。連帯責任。

これって音楽用語なのかわかりませんが「縦の線をそろえる」と言われる事なのです。

その、「縦の線をそろえる」為には、何が必要か。

『人の心を買って、自分の心を売れよ』

という教祖おや様の教えです。

人の呼吸、性格、癖等を考慮しつつ、お唱えしなければならないと思います。

でも、それがなかなかできないんですよね。

音楽家でも、音の出だしというのは非常にデリケートに扱うものですから、素人にとってはその感覚さえわからないのかもしれません。

因みにこの「音の出だし」が揃うのを、よく「ハモった」と言われますが、ちょっと違います。

音の出だしの事をアインザッツというのですが、「ザッツがあったね」と若い時はいっておりました。

〓しょうしゅう〓

2015.02.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | 御法

新明誌119号校正

先程、新明誌119号の校正を印刷屋さんに渡せました。

どうもしょうしゅうです。

誤字脱字など、17〜18ページ程、訂正部分がありました。

事務長にも校正を見て頂いたのですが、途中で感想をお聞きしたら、

「まだまだ、短くできるでしょ〜(半笑」

みたいな感じでした

これは全て読み終わられたら、もしかして致命的な部分があったりして、ヘタすると今回は延期にしようと言われるかなとかドキドキしましたが、最終的には、

「うん、良くまとまってるね」

という感想を頂けたので良かったです。

とりあえず一段落です。

本来ならもう少し多くの人に校正段階で読んで頂いた方がいいのかもしれません。

でも、それをやると変に説明文の挿入が多くなって、電化製品の説明書みたいになる傾向があるので、それとなくスルーしてます。

いずれにしろ、とてもいい信徒大会特集になっていると思うので、是非、ご一読して頂きたいと思います。

〓しょうしゅう〓

2015.02.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

新明誌119号

先日、無事に新明誌119号を印刷屋さんに渡せました。

しょうしゅうです。

今回の新明誌は昨年の11月に行われた第14回信徒大会特集号です。

12月〜1月中旬まで聞き取りをする時間がなかなか取れなくて、どうなる事か心配していたのです。

12月中旬から一緒に作業していた御札の製作(梵念梵徳や祈祷札)を1月は勘弁して頂き、ササッと事務所の奥に引っ込んで黙々と聞き取りをしてました。

自分の性格等を考えると、結局一緒に作業してしまいそうでしたので、ササッと引っ込んでいました。

原稿がある場合は、聞き取りと照合しながら、発言者が言わんとしている事を自分なりに汲み取って文章化していくのですが、泣く泣く実際の発言とは異なる表現を使わせて頂きました。

原稿がない場合は、聞き取りは口語体なので、できる限り文語体にしました。

「できる限り」です。

文語体にすると少し冷たい感じになってしまうのです。

それとページの終わりはなるべく「。」で終らせたいので、口語体がハマれば、口語体のままです。

文章を読むのが不慣れな人の為の「間」を作れるように「。」の後はほぼ改行しています。

文字は大きいですが、前回の118号に比べると少し小さいです。

などなど、考慮しながら編集していたのですが、荒削り段階で80数ページにもなってしまいました。

いつもは聞き取っていると「あ〜」とか「え〜」とか、かなりな量になってしまう場合があるのですが、今回はあまりなかったように記憶していますが、今回の信徒大会は原稿をしっかり用意して発言された方が多かったのだと思います。

80ページは多すぎる。

という訳で、それから10ページ程削りました。

最後の編集後記は私の文章です。

実はこの編集後記にかなり力を入れています。

誰も気付いてくれないだろうなと思いながら、力を入れています。

数年前の編集後記を読んでも、「いいこと書いてあるな〜」なんて思います。

〓しょうしゅう〓

2015.02.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

岡谷支部節分祭言念導

『豆まきは人の心に宿っている悪魔の心と人の運勢を邪魔している悪魔の心を切り払い、心の中と運勢に、福が授かるよう、招福祈祷をして運勢の道を開くのである』
と教祖おや様は仰せられております。
 皆様は「天国と地獄の食事」のお話をごぞんじでしょうか。
地獄での食事は、丸いテーブルを囲んで席に着きます。
テーブルの上にはたくさんのおいしそうな料理が並んでいますが、自分は席に縛りつけられ、手だけしか動かす事ができません。
席には長さが一メートル以上あるはしが置いてあります。
天国での食事は、丸いテーブルを囲んで席に着きます。
テーブルの上にはたくさんのおいしそうな料理が並んでいますが、席に縛りつけられ、手だけしか動かす事ができません。
席には柄の長さが一メートル以上あるはしが置いてあります。
天国と地獄の食事、おかれた状況はまったく同じなのです。
 地獄では、料理を食べようにも、はしが長すぎるので、自分の口に運ぶ事ができません。
 イライラしたり、怒ったり、悩んだり、苦しんだり、失望したり、また、お互いに罵り合っています。
 結局、空腹が満たされる事は永久にありません。
さて、天国ではどうしていたのでしょう。
天国が地獄と違っていたのは、長いはしを使って、料理を周りの人達の口に運んであげているのです。
考えてみれば簡単な事で、長いはしでは自分で食べるはできませんが、周りの他の人に食べさせる事はできるのです。
天国では、お互いに思いやり、言葉を交わし、にこやかに食事を楽しむ事ができるというわけです。
天国や地獄は場所や環境ではなくて『人の心に宿っている悪魔  の心』が、あの世もこの世も地獄にするというお話でした。
 さて「厄年」「厄月」「厄日」というのも、人それぞれの心に宿っている『人の運勢を邪魔している悪魔の心』といえますので、  新明国上教会では厄年の方に限らず、どなたでも豆まきをお勧めして、その年の災難災厄を切り払って頂いております。
『悪魔の心は笑う声が大嫌いである』
『笑い声の絶えない明るい家庭には、悪魔の心はよりつけなくなり、福の心がどんどん授かってくるのである』
『一日に少なくとも三回笑い、たまにはお腹のよじれるような  大笑いをするように心掛けよ』
と教祖おや様は諭されておられます。
家族親戚、そして自分に関係する周りの人々が幸福であるように、節分には開運招福の豆まきをつとめ、福の心が寄りつくように日々の笑いがつとめられるように、新明国上心様と先祖の心と鎮守の心に、一心にお願いしてください。
新明国上尊の経典威徳にお願いし、平穏無事な日々が送られるよう、心からお祈り申し上げ、言念導のお取次ぎとさせて頂きます。

スペース等があるのはテンプレートの原稿で編集した時、自分で読みやすい改行にした時の名残です。

ゆっくり読もうとしても、大抵の場合、早口になってしまうものなので、このスペースや改行は自分で声に出して読む時に程よい「間」になってくれます。

あまり世間一般に言われていたり、想像されたりしている天国や地獄などの情景を言い表した言念導はなく、

『人の心に宿っている悪魔の心』が、あの世もこの世も地獄にする。

という論法というか、言い回しというか、考えてみたら、そういう言念導がほとんどです。

〓しょうしゅう〓

2015.02.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | 未分類

«  | HOME |  »

プロフィール

佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
佐藤昭衆の個人ブログ

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる