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教会葬

10月17日、教会葬が滞り無く執り行われました。

大勢の参列を賜り、ありがとうございました。

とても盛大に…

と言っていいのか、わかりませんが、とてもいい葬儀だったと思います。

どうもしょうしゅうです。

教祖おや様の葬儀は神殿ではなくて、当時は別棟にあった祖師堂で執り行われたので、今回は初めて神殿で行われた葬儀という事になります。

葬儀では、私が鐘の役割をさせて頂いたのですが、実はまだ役割などが決定していない段階で自分が鐘の役割になれるように位置取りをしながら座っていたのは秘密です。

ただ、鐘をあげるのではなくて、その場にあった音を作りたかったのです。

葬儀という事であまり大きな音にはせず、優しく響かせるような音。

また、優しく響かせる音だけではなく、一回一回の音が積み重なって、力強くも荘厳な音。

優しく響かせる音を基準にして、経典中に出てくるすべての音に表情を。

そのようなイメージです。

お酒が入っていて、前後の話はよく覚えてないのですが、

「あんな音もだせるんだね〜」

ってのは最高の褒め言葉でした。

一つの音で喜怒哀楽が表現できるはずだと思うので、これからも精進致します。

因みに大きな音を出すより、小さな音を出す方が、実は力が必要で、鐘をあげ終わった時には両腕がパンパンでした。

〓しょうしゅう〓

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2015.10.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

所感として

今日は先日ちら見した坊主Bコースというコースメニューがある近所の床屋に行こうと思います。

どうもしょうしゅうです。

訓読経の中に紙を貼って訂正してある部分が何箇所かあります。

そこが所謂、戦前に宗教団体として認可されるための苦肉の策であった部分。

確か「ふどうそんとなぞらへ」と御真言の部分。

因みに現在は「擬える」事はしていません。

「新明国上尊に」となっていて、教祖おや様が仰せられた、

『我が亡きその後は何千万の人が我の姿を拝んで利益を得るぞ』

という言念導を形にした、本来の姿として訓読経は確立しています。

訓読経を読めば、だいたいですが、日本語でも意味がわかる部分があります。

でも、訓読経の、強いて言えば「締め」の部分は、まだ解読されていません。

亡くなられた先輩教師の方からは、この「締め」の部分は神仏に謝っているもので、声は小さめ、素早く読経するのだ。

というような事を教えられた記憶があります。

何となく、「人間の言葉で神仏にお願いしてしまい申し訳ない!!!!!!!!!!!」

というような意味が、最期の解読されていない部分にはあるのではないかな、と思ったりします。

が、さて、教祖おや様、新明国上心様の御心にかなうかはわかりません。

とはいえ、私が経頭である時は、声を合わせやすいように遅く…一文字ずつテヌートをかけるような感じで唱え始めてから、その場の状況に応じてインテンポになるように速度を調整しながら、締めの部分でも比較的大きな声であげています。

また、どんな場面でも対応できるように「プレーン」な感覚で読経しているつもりですが、それを維持するのは大変かもしれませんね。

このような内容を書いていいのかわかりませんが、とりあえず私個人の現在の所感とか備忘録とかとして

〓しょうしゅう〓

2015.10.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 言念導

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佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
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