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作戦成功(笑

もう五月も終わりですね。

どうもしょうしゅうです。

昨日の研究会にまだあまりまとまっていない言念導を持ち込む作戦は成功でした。

「あまりまとまっていない」状態を詳しく言うと、一つの言念導を作る過程で色々な情報を詰め込んだ状態です。

そこから言わんとしたい言念導に向かって、センテンスを組み立てて行きました。

時間の制約がある中で、しかも数人でその作業をするのは、少しはずかしかったです。

ここはいらない、ここはつながらない、ここは自分が好きなだけ(笑)で伝わらない、ここを先に持ってくる、ここを後にまわす。

という本来ならば一人で行う作業を一つ一つ、何故そうなったのか、どういう意味があるのか、どういう思いがあるのか等を説明しながら、時に無言状態もありつつ(これが気まずかったです)、一つの言念導のプロトタイプを編集しました。

まだ、若干訂正しなければならない部分もありますが、よい教材になったと思います。

作戦成功!

〓しょうしゅう〓

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2017.05.31 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

けんきゅうかい

だいぶ日が長くなってきました。

どうもしょうしゅうです。

昨年来、研究会を信徒会副代表含め、数名で行っています。

毎回、言いたいこと言ってます。

とはいえ、別にあそこのキャベツが安いだとか、どこに何々が新しくできたとか、誰々はどうしたとか等といいながら、皮肉だか本気だかわからないような話の内容ではありません。

ほとんどの話は御法と言念導について。

現段階での私なりのアプローチの仕方やそれに至るまでの過程等、それまで師匠と話はすれど、あまり表立って話さなかった部分をベラベラ話しています。

今日はその研究会の日。

今回は言念導を一つ用意しましたが、敢えて話の要点があまりまとまっていないものを持っていく予定です。

〓しょうしゅう〓

2017.05.30 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

独善的

今日は昨日の雨のせいか、少し蒸し暑いです。

どうもしょうしゅうです。

「独善的になるな」

とは、実父がある時期よく使っていた単語です。

多分、その時期のトレンドみたいなもので、現在はあまり使っている気配はありません。

確かに人は独善的になりやすい生き物だと常々感じています。

実父にとっては、ある時期のトレンドだったかもしれませんが、私にとってはとても重要な単語です。

とはいえ、色々な場面で浮かんでくる、或いは当てはまる単語なので、自分から何もできなくなる可能性も含んでいて、人は誰しも「独善的になる」という事をふまえてながら、後々の反省材料として心におくのが正しい使い方かもしれません。

〓しょうしゅう〓

2017.05.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

五月

今月は小忙しく動き回らせて頂けました。

どうもしょうしゅうです。

師匠であり、養父でもある佐藤先生の体調の関係で、今月は遠方の出張祈願をつとめさせて頂きました。

今月は千葉、岡谷、上田、会津、仙台。

岡谷に行ったのは岡谷支部の春季大祭。

初めて岡谷支部で導師をつとめさせて頂きました。

また、岡谷支部での言念導のお取り次ぎでは、大祭としては実験的な言念導を行ったりしています。

今回はさんざん周りの方に指摘されていた私の十数年来の戦友のような袴の現役引退を表明させて頂きました。

それと、

「それでは、これから小一時間、言念導のお取り次ぎをさせて頂きます」

という役員研修会の時にも使用した文言を使用させて頂きました。

これは、「(小一時間は話しませんが)楽座にしてください」という意味を暗に持たせた感じです。

役員研修会では、言念導を二つ、自分の現段階で感じているお道具の話、礼拝の話、その使用方法。

また、石井副代表のお話、鈴木研修部長のお話、質問タイム等を含め、約50分程お話させて頂きました。

ヒトミシラーな私にとってはなかなかの事だったと思います。

次回は、

「これより、午後半日頂きまして、言念導のお取り次ぎをさせて頂きます」

を使ってみようと思います。

〓しょうしゅう〓

2017.05.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

ここだけの話

錫杖の話。

やはり若干話しちゃいけなかったのか肩が痛くなりはじめました。

ということで、前回の投稿は覚書程度の認識という感じに(自分の中で)しておこうと思います。

いつか読み返して、合っているのか、間違っているのかわかりませんが、現段階で感じている事っつー事です。

実際、部屋の間取りだったり、仕組みだったりするのかもしれませんが、その時々で経典の響き方って違うと思うのです…

ふっと考え直してみると、錫杖以外にも数珠だったり、持鈴だったり創意工夫したり、意味合いを考えたり、考え直したりしながら、基本に忠実に練っていこうと思っています。

でも、何か変な足し算しちゃって、なおかつそれが定着して御法として発動しなくしなくなるのではないかと・・・

御法というのは、目に見える部分もありますが、目には見えない部分がほとんどなので、それが一番の恐怖です。

〓しゅうしゅう〓

2017.05.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

錫杖

今日の宿河原は蒸し暑いです。

どうもしょうしゅうです。

悪魔が嫌がり、神仏が喜ぶと言われている錫杖。

振る回数は特に決まっていませんが、だいたい21回位振ります。

21回は3の倍数なのか、新明国上教会では、何かと基準になる回数です。

締めの御真言も21回です。

あ、「締めの御真言」ってのは、私が勝手に言っているだけで、公式的なものではありません。

とはいえ締めの御真言は21回と特に決められていますが、多くお唱えしたいと思わされる事もありますし、少なく終わってしまう時もあります。

少ないと何かと言われてしまう時もありますが、私は別に気にしていません。

それは締めの御真言であったり、錫杖の時も同じこと。

絶対に21回!

と決めてしまうと、21回以外は間違いという事になってしまって、御真言そのものの意味がその人その人の中でなくなってしまうような気がするのです。

きっと、もうちょっと唱えてやれよ、とか今日はこれで十分だ、とか唱えさせられているのだと思うのです。私は。

それにあとから気付かされてこそ、何かしらのアプローチができるのではないかと思うのです。

多くても少なくても、その場、その時、祈祷対象によって、いい事、いくない事、全く逆の意味に感じさせられるものなのですが、いくない時には、それを話さなければいいだけの話です。

そして、いい時は、大いにお話すればいいのです。

これは言っちゃいけないこと、書いちゃいけないことなのかな?

と思いつつ。書いちゃった。

〓しょうしゅう〓

2017.05.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
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