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本日も神殿当番

いろいろありまして、本日も神殿当番です。

本日もパスタ(水曜どうでしょう)

どうもしょうしゅうです。

明日は大久野神前祭で、導師と言念導をつとめる事になりそうです。

導師は、清掃の時に簡単な心得のようなものを話して、準備して頂いたので、そこはそれにはまっていこうかと思います。

言念導は、このブログに書いた『勝気の心』を編集したものをお話したいと思います。

でも、「願文に組み込んでる」みたいな事をいうと、

「そういうこと言うのはやめろ〜」とか「ブログやめろ〜」とか、下手すると言われそうなので、言いません。

詳しくはこちらの方を御覧ください。

ってタモリ倶楽部の空耳アワーの最後みたいにしたいと思います。

〓しょうしゅう〓

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2017.07.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

大阪〜京都

本日は神殿当番でし。

どうもしょうしゅうです。

先日、信者さんの会社の営業所の年次祭で大阪〜京都と行ってまいりました。

大阪には以前、急遽代打でつとめさせて頂いた時がありました。

移動日に総務の方に案内され、

「以前もここのホテルにとまったんですよ。」

と説明されたのですが、全く記憶にない始末w

「大抵の道は一回来ると覚えてしまう自信があるのですが…当時、急遽代打という事で相当緊張していたようで、まったく覚えていません。」

と、当時の事を思い出しながら、懇親会に行く時に総務の方と社長と私の三人で笑いながら歩きました。

次の日、大阪営業所年次祭の道すがら。

昭和初期に教祖おや様に弟子入りして、教祖おや様から、お前は独立して偉くなるだろうよ、というような直球を投げ込まれた先達さんがおられたそうですが(たぶんもっと身も蓋もない痛烈なお言葉だったと思います)、その方は東京の立川にどでかい教団を設立され、大阪にもその支部があるようで、我々が乗っていたタクシーの前を走っていたバスの行き先がその教団の名前でした。

大阪の営業所は以前に来た時とは違って、倉庫と事務所が完備された営業所になっていて、御守護を頂きながら、利益を授けられておられるのをひしひしと感じました。

祈祷が終わり、直会で移動すると、駐車場からトラックが二車線道路に出てきたのですが、走ってくる車がブレーキを踏むこと前提で出てきたので、関東では見ないような出方で驚きました。

直会が終わり、京都に移動。

ホテルに到着して、少し時間があったので、懇意にさせて頂いている方がつとめておられる寺院に行ってみようかとも思ったのですが、移動する時間を考えたら、閉門時間になってしまうような時間、また懇親会の待ち合わせ時間も考え合わせて、今回は諦めました。残念…。

最終日、京都で祈祷している時、特に京都という仏教の本場のような場所で、現在の新明国上教会教師辞令をもつ私のような人間が、新明国上教会の『本経』で『御法』を行うなんてのは、初めての事じゃないかな?ありがたいなぁ…

と感動しました。

また、この信者さんの全国津々浦々ある営業所でお唱えするお経は、こんな私の声でもものすごい部屋に反響するんだなぁ…御守護頂けるんだなぁ…

と感じられ、自分でいうのはなんですが、素晴らしい年次祭になったと思います。

それにしても、大阪〜京都は暑かった…

特に京都のタクシーの運転手の方なんて、木々が季節関係なく伸び続けているという、どうしようもない冗談を話していました。

あと、私のいい加減な知識の中で、京都の「いけず石」なる物を知って、タクシー移動中にキョロキョロしていました。

私の想像では、子供のいたずらのような「石」がチョコチョコ置いてあって、

いけず石…かわいいなぁ(〃▽〃)

と感じたいと思っていたのですが、通ったのがほぼ幹線道路だったからなのか、大人のいやがらせのような「岩」のような石がゴロ、ゴロゴロと置いてある場面しか見れず、(なんかもう、でかい石をよく見たらコンクリートで固めてあるのもありました)

いけず石…すげえな((((;゚Д゚)))))))

と感じました。

〓しょうしゅう〓

2017.07.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

護摩壇

護摩壇の事を新明国上教会では「こうろくだい」と言います。

どうもしょうしゅうです。

この「こうろくだい」は、秘法中の秘法です。

もし間違えたらどうなるのか、聞いた時があります。

「釜が割れる…等」

という事です。

「釜が割れる」のはまだ「軽い方」なのかもしれない。

…という話でした。

そういえば、何度か、

「どうしたら、こうろくだい(護摩壇)の導師ができるようになりますか?」

と聞かれた時がありますが、私は、

「あそこにだけは絶対にあがりたくない!」って感じた時にその役目がくるよ。

自分の話したい過程を全部すっとばして、そのような事を言っていました。

〓しょうしゅう〓

2017.07.15 | | Comments(0) | Trackback(0) | 御法

七分の勝気の心

本日は神殿当番です。

どうもしょうしゅうでう。

先日のブログで『勝気の心』についてお話しました。

「願文に入れている」と書きましたが、正確には「朝の勤行の願文に入れている」です。

「新明国上教会信徒一同」「奉賛金志納者一同」「頭髪納入者一同」そして「佐藤昭衆有縁無縁一切」の心様に対して願います。

因みに「佐藤昭衆有縁無縁一切」という心様は、ここ1〜2年に取り入れました。

そういえば『心様』という単語について。

自分の中の感覚として、人であれば、その人の中の「神性」というか、人間やその他の生物という生き物の生身の革を一枚剥いだとして、その目に見えない『心』という状態に敬称をつけた、というような感覚です。

また、もともと姿形のない対象物に対しても、使っているかもしれません。

例えば、

「◯◯神社」の心様

とか、

「◯◯家先祖代々」の心様

などといった感じです。

これからまた感じ方は進むかもしれません。

私の中で、現在としてはそのような感覚です。

だから、といっては何ですが。

朝の勤行に出席される方に対してあいさつする時、神仏への礼拝をちょっとだけ拝借しています。私は(笑

要は上体だけであいさつするのではなく、手をついて平身低頭してあいさつ(一礼)するようになりました。

平身低頭する時、手を△にしてしまうと神仏に対する礼拝になってしまうので、親指だけキャンセルしていたりしています。

これは何となくなので、正解かどうかはわかりませんが、なんとなく感覚です。

人に対して好き嫌いはあるかもしれませんが、そこはそれ、その人その人のまっさらな『心様』に対してあいさつしているのだという感じかな・・・。

または、その人その人を守護している守護神の心様に対している、のかもしれません。

でもその根底にあるのは、もっと俗っぽく。

朝、特に早起きの苦手な私が(今も苦手ですが…)初心に感じた、朝の勤行に出席される方々に敬意を表す。

ってのが私らしくていいですね。

〓しょうしゅう〓

2017.07.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

音程

ルパン三世(三期目くらいのやつ)のOPのグリッサンドが好きです。

どうもしょうしゅうです。

訓読経を唱える上で、忘れられない教わりたての時の言葉があります。

それは「語尾の音程を下げない」というもの。

実際、定形で上げ下げする部分はあるのですが、あまり音程をさげないようにしています。

どちらかというと私は、師匠の音程に準じているので、そうなるのかもしれません。

もう十数年前、御真言の音程が下がってしまう方がおられて、それを聴いて、師匠が仰られた事。

また、最近になって、語尾の音程を「グッ」と上げる先生(私の大好きだった先生)もおられたのを思い出した事。

ずっと、どうして「グッ」と上げるのだろうと考えていたのですが、「グッ」と上げることで、音程が下がらないようにしていたではないかと思い当りました。

なぜ、御真言の語尾の音程をさげてはならない、という師匠の言葉が忘れられないのかというと、

「それ(音程が下がる)は浮かばれない心様に守護されてしまっているから」

と、師匠が悲しそうな顔で話されれていたのが印象に強いのです。

そう考え当って、最近になって、錫杖時の御真言のある部分が下がってしまう時があって(私は違いますが)、どうもぞわぞわしてしまっていたのが、少しわかったような気がしました。

上記の部分を含め、私にとって錫杖の時にお唱えする御真言は、

「(浮かばれない心様に守護されないように)失速しない御真言という弓矢で役目星様を突き動かす」

というイメージなので、どうも音程をさげられるのに違和感があるのかもしれないと感じました。

でも、私自身もきっと、要所要所に五寸釘を打ちながら唱えているのを、何も考えないで唱え始めたら、どんどん語尾の音程がさがっていってしまうのだろうなとも強く感じているので、やはり昨日のブログにも書きましたが、内容の濃い御法を施行できるように精進しなければならないと常に反省しています。

〓しょうしゅう〓

2017.07.13 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

素振りと礼拝

暑い日、風があると良さそうだけど、ろうそくの減りがすごいです@宿河原

どうもしょうしゅうです。

素振りは、回数をやっても意味はない。

刃筋の確認、握りの確認、身体の軸の確認等、ひとつ振って確認、ふたつ振って確認。

だそうだ。

私の中で、礼拝も、確認の連続です。

合掌の確認、腹部の▽の確認、平身低頭した時の△を確認。

簡単に言えばこれくらい。

自分の中で独善的だなと思う部分は指先が揃っているかを確認している時。

揃わなかった場合はそこから御守護がこぼれ落ちてしまうとさえ考えながら礼拝しています。

実際、少しのズレから致命的なミスを身体に染み込ませてしまう場合もあります。

染み込む。

そうなると、もう何を言っても無駄な状態になっているのがほとんどで、注意しても、どうでもいいような浅い部分をつつこうとするだけになってしまいます。

寝坊してもそれはそれ、朝起きる回数ではなくて、どれだけ内容の濃い勤行・礼拝の時間を過ごせるかということだと思います。

経文を経頭に合わせる気もなく、耳が悪いのか、ただただ自分の唱えたいように唱えていては、内容の薄い朝の勤行だなぁと、がっかりしてしまう時もあります。

私の中では(笑)経頭の先生より早く経文がでてしまった場合、

「しまった!!!!!1」

とビクッとしてしまいます。

何はともあれ、内容の濃い時間を過ごせるように精進したいものです。

〓しょうしゅう〓

2017.07.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

大地球玉

蒸し暑い日が続いてます@宿河原

どうもしょうしゅうです。

神殿に入るとすぐの所にぶら下がった「大きな玉」があります。

あの玉は特に「大地球玉」と呼ばれています。

よく見ると、下の部分に火炎のようなものがありますが、あれは地底の炎だそうです。

そして上部は天をあらわしているものだと思います。

いずれにしろ、この世の中には役目星様がたくさんおられ、人の生活を見守っている、というような意味だと思います。

最近、その地球玉の電気を朝のうちは点灯する、などという話になりました。

そして、前日の神殿当番の方が帰りがけに消灯する、というような話。

忘れたら、まぁ当日の神殿当番の方が消灯します。

さて、いざ、点灯させると、いかにも「営業中」って感じです。

私は好きです。

だから、私が神殿当番の時に前の神殿当番の方が消し忘れたりすると、私は消灯を忘れた神殿当番のフォローもせずに、ぼーっとしている馬鹿なヤツなふりして点灯させたままにしたりしています。

たまに「消し忘れてる!」と指摘される方もおられますが、

「おあぁ〜わぁすぅれぇてぇたぁ〜」

とか本当に馬鹿なふりしま…いやちゃんと!

「あ!忘れてました!」

ってはっきり言います。

または、指摘される前にこっそり消します。

そういえば私、他にも、馬鹿なふりして「何やら」やってるっての多いかもしれません。

いずれにしても、やっぱり…

自動車のライトやウィンカー等は自分のためではなく、他人に自分の存在・行動を知らしめるためにあるっていうのと同じで、地球玉を点灯させて、俗っぽい言い方ですが、いかにも「営業中」って感じを醸し出すのもいいんじゃないかと思っています。

あとは、当日の神殿当番が帰る時に消灯すればいいんじゃねぇか?と思うだよなぁ。

〓しょうしゅう〓

2017.07.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

勝気の心

本日は雨後の蒸し暑い中、神殿当番です。

どうもしょうしゅうです。

以前にも書きましたが、昨年の願文と今の願文は微妙に違います。

それを進化というのか、無駄に長くなったと思うのかは人それぞれ。

特に最近、朝の願文に、

『七分の勝気は悉く戒め…云々』

という言念導の一節を取り入れました。

教祖おや様のおことばに、

『月の心は水の御恩で、お日様は火の御恩様で、人間はすべてこの御恩によってこの世を送っていくわけであるが、人間には三つの罪があって、その三つの罪のために、苦しみ悩むのである』

と仰せられました。

その一つは、

『勝気の罪である』

『先祖が非情な事をしたために、その先祖の因縁を受けて勝気を出すので、人に嫌われていくようになる』

その二つは、

『愚かな事である』

『愚かは愚かなりに、うまい口をきいて人に好かれておれば良いのであるが、自分が心足りないのに、でしゃばって、余計な事をしてしまう事である』

その三つは、

『人を恨(うら)んだり、羨(うらや)んだり、嫉(そね)たりして、人の出世を羨(うらや)んで、人を蹴飛ばしたりする事である』

『この三つの罪を持って、この世に生まれ出て来た人は、病気で苦しんだり、金を貸しても取れなかったり、物事に失敗して悩み苦しみ、この世を果てると地獄へ落とされていくのである』

と仰せられました。

このようにならないためには、

『信仰をして神様によく願って、十分(じゅうぶ)のものなら、七分(しちぶ)の勝気を神様に預かっていただき、三分(さんぶ)の勝気を使っていれば、多くの人に好かれ、出世をして一生安楽に暮らせるのである』

と仰せられました。

そして、また、

『お日様とお月様と星の心は天の神様で、お見通しであるから人に判るまいと思って悪い事を行っていると、必ず天地の神の戒めを受けるのである』

『自分の勝気を出さず、神様に手を合わせて努力していると、必ず天地の心様の御綱が降って、先の事を知らせていただけるようになるので、決して勝気を出してはならない』

と仰せられました。そして、

『新明国上教の御真言の一つである、

【いーじょうむうじょう かんねんこうりき くうげんじょうじょう】

の経文は、新明国上三宝経典を総括される経典の一節でもあり、天地間の全ての心に通じ、あの世の心とこの世の心に行き交う経文であるから、どんな時でも、一心にお唱えしなさい』

と仰せられました。そして、また、

『天と地の間の心、すなわち目に見えない空気の事を天地阿合之心といい、その心を火水之ご恩、日之御恩と称して、天と地の間では最も重要な心であり、この世の生物の全てがこの恵みをいただいて、活動しているのであるから、常日頃感謝の心をもって、この御真言を唱え、御守護していただきなさい』

と仰せられました。

新明国上三宝経の全ては、教祖の行によって喉からくだったもので、三宝経典はもとより、この御真言を含めて、世界に二つとない経典のため、どなたが唱えても、御守護していただける尊い御真言でありますので、一生懸命、一心にお唱えして大きな御守護をいただいてください。

の『勝気の心』です。

あと、国家興隆のためには、飢えずに楽しく生活できてこそかなと思いまして、「五穀豊穣」「万民豊楽」という単語も国家興隆の前に挿入しました。

「あまり長くなりすぎるのもいけない」と伝わっているので、これくらいで勘弁して頂こうと思います。

もしかして、言念導の一節を願文に取り入れるなんて大胆に贅沢な事をしちゃうのは、私が初めてかもしれません。

でもでもあとあと因みに、はじめは七分を預かって頂こうと願文を考えていたのですが、結局、欲をかいて手元に残したり、引き出しちゃったりするかもしれないので、そーゆーのを引っくるめた端数に対しての心で「戒め…云々」となりました。

〓しょうしゅう〓

2017.07.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
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