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十五日会の言念導

「あれ?今、まだ3月かぁ」

とか何故か、つぶやいてました。

どうもしょうしゅうです。

先日の十五日会の言念導のお取り次ぎです。

私達の身近にいる犬や猫は長生きしても二十年ほどの寿命です。

一ヶ月も生きられない虫もいます。

また、千年の時を経た大木もあれば、一年草もあります。

私達人間が生まれてから死ぬまでの時間も、宇宙や地球の時間に比べれば瞬きのようなものです。

教祖おや様のおことばに、

『鳥の心も火水の御恩で生きているため、鳴きながら天地の心様に感謝を告げている』

『竹の心が頭を垂れているのも、天地の心様への感謝であり、植物が花を咲かせているのも、天地の心様に感謝をあらわしている姿である』

『虫の心も土の御恩と火水の御恩に感謝して生きているのである』

『魚は水の御恩で活動し天地の心様に感謝している』

『秋になると木の葉が落ち、草が枯れるのも、天地の心、日の心、水の心の恵みをいただいた御恩を地にかえす心であり、即ちその年その年に天地の心様に感謝をしている姿である』

教祖おや様は、生き物の生態を見て、その生態のすべてが感謝の心に通じていると説かれ、それに比べて、

『人間も同じく天地火水之御恩、日之御恩の恵みをいただいて生活していながら、人間の好き勝手で、これらの動植物を殺生しているので罪をつくっているのである』

と諭されました。そして、

『殺生しただけ罪を受けている』

と戒められ、

『人間は罪の意識なく無意識に殺生している事があるけれど、その罪は重く幾とおりもあって、その心が姿となり、何らかの形となってあらわれてくる』

と説かれました。

人間の場合、『殺生』といって、生命のやりとり以外にも、

「政治家とゴキブリは新聞紙で叩くと死ぬ」

なんて、言葉がある通り、無意識に発した、または良かれと思って発した言葉が、人を肉体的にも精神的にも殺めてしまう場合がある事に気を付けなければならないと思います。

なぜなら、それは、

『その罪は重く幾とおりもあって、』 

ゆえに、

『その心が姿となり、何らかの形となってあらわれてくる』

からであり、その反省の方法というか、見つめ直す方法が、

『われの喉からくだった経文を願っていると、その罪を軽くしていただけるので、天地の心様に一心に願え』

という事であると思います。

それでもまた『その罪を軽く』であり、「なくす」わけではないので、日々の生活から、

『物を粗末にすると、神や仏に一心に願っていても御守護が授からない』

『物を大切にし、火と水の御恩が有り難い事を忘れぬように、家族や子孫に伝えて、光った金を遠くまで光るように使えるようにつとめていけよ』

と教祖おや様は日々の生活の中に、新明国上心様の教えをちりばめ、家族や子孫に伝えよ、と仰せられたのだと思います。

天地阿合、火水の御恩、日の御恩の恵みをいただいているなかで、生きている時間が短い命は軽く、生きている時間が長い命は重い、という事は決してありません。

人間の心は、個人の価値観で物事を捉えると、驕った意識を持ってしまいがちです。

大切なのは生きている時間の長短ではなく、他の生物より以上にさまざまな恵みに感謝の心をもって、新明国上心様の教えを生活の中にちりばめ、伝えられるように、活動しながら、新明国上心様の教えを胸に、よりよい一生を送りたいものです。

〓しゅしゅう〓

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2018.03.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
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