FC2ブログ

ひみず編集

ある一定の時期になるとこのタイトルがやたらに多くなってしまいます。

今回のひみずもなかなか面白く出来上がっていると思いますが、まだまだ何かが足りません。

これからも頑張らなくてはと反省してしまいますが、とりあえず、あと信徒会代表の中村さんに見てもらってから、明日には印刷屋さんに提出します。

前回は宿河原の知名について、兼好法師の徒然草からの引用などを綴ってみました。

今回はファミリー紹介の取材の帰りがけに寄った、会津松平家院内御廟訪問記を書いてみました。

会津は私の母の出身地なので、結構思い入れがあると思うのですが、それと同時になくなった母の父、つまり私にとっての祖父ならどのような感想を持つのかと考えてしまいます。

私の母は確かに会津出身なのですが、私は神奈川県に育ったもので、いくらか会津に思い入れがあるとは言っても、少し屈折している部分があるように感じるのです。

屈折というと語弊があるかもしれませんが、会津について完全な正当性をもって主張してはいないという事です。

どちらかというと、維新において会津の城下は焦土とされ、多くの藩士は死に、藩そのものは維新後、青森県下北半島の斗南(となみ)に一藩まるごと流刑のように、士族六千軒が移され、

「その時、会津から会津藩は蒸発してしまった。あとの町は領内の農民がつくったものにすぎない。」

といった考え方に少し近いかもしれません。

憧れによってその憧れ自体を美化し、さらに実体として具現化し定着させたのが現在の会津ではないかと感じてしまうのです。

もちろん、今の状態は、地元民が美化した時代よりも一層磨きがかかっているのは間違いないわけで、むしろそれでいいのだと思うのです。

スポンサーサイト



2009.03.22 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

コメント

コメントの投稿


秘密にする

«  | HOME |  »

プロフィール

佐藤昭衆

Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
佐藤昭衆の個人ブログ

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる