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秘密の鐘

先月の頭髪祭の清掃の時に、かなり激しく経机の鐘が落ちる音がしました。

おそらく、体のどこかに引っ掛けて落としてしまったか、それとも手が滑ってしまったのか、豪快に経机の鐘が転がっていました。

楽器の響きというのは調整が難しいというか、ちょっと落とした衝撃でも、その楽器の材質によっては音が大きく変わってしまいます。

楽器を勉強していた経験から分かりきっている事なのですが・・・

実は、響きが変わってしまいました。

でも他の教師の方々は、どうやら気づいていないようなのです。

「音が変わりましたよね?」

と、しばらく経ってから落とした張本人に聞いたところ・・・

何故か、言念導にある「鐘の上げ方」について話し始められてしまいました。

その時に他の教師の方にも同じように、

「音が変わりましたよね?」

とお聞きしたのですが、やはり「鐘の上げ方」について話し始められてしまいました。

上げ方ではなくて、音そのものが変わっているのをどのように説明したらいいのかわからないので、

「そうですか・・・私の気のせいですかね・・・」

といって、その場は話をはぐらかしておきました。

現在、時間の経過と共に少しずつ響きの違いに慣れてきてしまって、

「まぁ、よく聴いてみると、撞木を当てる場所、強さ、角度等によっては調整できるのかな・・・」

と妥協してしいるというか、慣れ始めているというか、そんな自分が嫌です。

でも、それらの経験から「鐘の上げ方」についての言念導にも、もっと理解を深めなければならない部分がある、と以前から考えていた事を思い出させて頂けました。

そして、その私が考えている事というのは、おそらく「鐘」「持鈴」「錫杖」等、御法において使用される道具全般に言える事です。

それは何かといいますと、「楽器の特性」についてです。

とりあえず、今回は「鐘の上げ方」について、私の考えを申し上げたいと思います。

鐘の上げ方については、

「鐘は撞木をすりあげるようにあげる」

と教えられます。

しかし、本当にすりあげてはいけません。

すりあげた分だけ鐘と撞木が接触して響きを殺してしまいます。

「すりあげるように鐘に触れる」だけで十分なのです。

この部分の感覚の表現はもっと考えなければならない部分だと思います。

今のところ、おそらく表現できる動詞があるとすれば「触れる」になるのだと感じています。

「触れるだけでは、音がならないではないか」

と言われてしまいそうですが、あくまで感覚として「触れる」です。

「触れるだけでは音が小さい」

と言われれば、音をよく聴いて、一番響く強さで触れればいいだけの話です。

どうやらほとんどの教師の方々が、響きを殺してしまってるのが現状です。




しかし!しかし!しか~し!

一応、楽器のプロを目指した私が言ってもダメ。

お道具を楽器として見た場合、私の見る限り、アプローチの方法が下手・・・というか「雑」です。

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2010.03.20 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
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