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持鈴について

今日の川崎市多摩区宿河原はひじょうに寒い。

どうもしょうしゅです。

昨年末からお道具などの使い方を教える機会があって、改めて自分のお道具の使い方について考えてます。

特に今日は持鈴について、ちょっとだけ。

持鈴の鳴り方を眺めていると、学生の頃、パーカッションの先生がマラカスの演奏の仕方について話していた、

「マラカスを振る時は、中の豆(?)の気持ちになって振る」

というのを思い出します。

きっと、持鈴のブンドウの気持ちになって振るといいのではないかと。

持鈴について少し考えていたら、印きんの使い方についても、

「音の終わりは、自分でパクっと音を飲み込むような感じ」

みたいな事を何かの先生が言っていたのを思い出します。

「自分でパクっと音を飲み込むまで、音楽は続いている」

という事でもあるのではないかと、思います。

所謂、「余韻」をどう処理するかという問題。

因みに私は「第六」の経典中の印きんは、なるべく遠くに響かせるようにいつもより強めにあげています。

んで、次に経頭のソロ(?)に入るのですが、すぐに印きんをおろしません。

響きを楽しんでます。実は。

なんで、そんな事をするようになったのかは、実は自分ではわかりませんがね(笑

あと、元の持鈴の話に戻って、(ほんと徒然ですんません)

大祭の導師は、錫杖を振るのを終わらせるタイミングを見計らって、持鈴をあげます。

何も考えずに降っても、なんら支障はないのですが、実はその後、経頭も持鈴をあげます。

導師が早くあげおわれば、経頭のあげる持鈴が遅れて、あがり始める事になります。

そこを。

導師が持鈴を朗々とあげる。

すると、導師が持鈴をあげおわると、経頭が持鈴をあげ始めることになって、

持鈴が鳴り続ける

ことになります。

同じ持鈴とはいえ、若干、音色が違うので、なんと!

持鈴同士が呼応し合って、美しいアンサンブルのように聴こえるのです。

いや、これ、自分ではまだ一回しかうまくいってません。

ほんとお道具とは奥の深い、不思議で御威徳のあるものだと、つくづく感じます。

〓しょうしゅう〓

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2016.01.12 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
新明国上教会につとめる
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