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大祭の役割とかいろいろ

冬の神殿内は手がかじかみます。

どうもしょうしゅうです。

大祭の役割を、すべて満遍なくできるようにしたらどうか?

というような事を話される時があります。

でも、もともと教主様からの思し召しでできる役割の道が決まるので、どうしてもできる役割が偏ってしまうのは仕方がないと、私は感じています。

あと、クオリティの問題もあります。

太鼓がお祭りみたいな太鼓(まあ大祭なので間違いではないですがね)になってしまう方もおられますし、もう今から直せといっても、

自分のようにやれないのか!

と言われてしまいそうです。

私は私で、以前にも書きましたが、特に錫杖を振っている時の太鼓は『天の心』をあらわすと共に、神降ろしを変奏してから、昼夜の繰り返し、その中に『第一ぶんえんいとくの心』で行う太鼓のリズムを変奏させてあらわすという心で行じています。

しかも、まだ道の途中という感じです。

だからもし私が教えるとしたら、そのように教えると思います。

神降ろし変奏から、昼と夜の『第一ぶんえんいとくの心』変奏。

あ、私の錫杖の時の場合は、その中に、初めに習った先生のリズムと、師であり養父のリズムを、何となくオマージュしています。

でも、父には申し訳ないですが、全体的に初めに習った先生のリズムが根本にあります。

それで私が、

「夜明け、昼夜と『第一ぶんえんいとくの心』変奏で…』

などと話せば、

「そんなこと習ってない!」

と言われそうです。

例えで太鼓をあげましたが、太鼓だけではなく、御法ばかりは「習う」ものではなく、失敗からでも、成功からでも、テレビからでも、本からでも、ふと耳に入った事からでも、普段の「行い」から感じ取らなければならないものなので、「習ってない」なら「そうですね」というしかありません。

変な話ですが、どんなに太鼓になってしまおうが、間違いではないのです。

私なんて当初、レスピーギの「ローマの祭り」から引用しようとしたくらいですからね。

それに『第一ぶんえんいとくの心』の太鼓のリズムははっきりしていますが、錫杖の時の太鼓は基本的にフリースタイルなのです。

私の場合は、御法の中で行われるリズムを利用している、ってだけです。

節分祭で太鼓の役割がまわってきた時には、節分祭の豆まきのリズムを引用した時だってあります。

太鼓だけとっても、御法と合わせて色々考えて、行じているのですね。

って自分で今書いてて思いますた。

でも考えてみると、太鼓以外の声螺、先導、大鐘、典座、経頭、拍子木、導師、言念導のお取り次ぎ、奉行等、私が基本にしているのは自分勝手なものではなく、御法や言念導を組み入れ、時には他の宗教の動き等も考慮して構築してきた動きなのだと自負しています。

そして何より、これからも練磨していくと思います。

それらを驕らないように、そして、(恥ずかしいから)人に悟られないように、自分の事を「天才だから、大祭の教師の役割は何でもできる」等といっては、

「あいつバカだ」

とか思われつつ、人知れず緊張感を保っております。

因みに最近、持鈴の振り方を少し変えました。

〓しょうしゅう〓

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2018.02.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
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