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覚書として

2回連続で「礼拝」関係のはなしだったので。

どうもしょうしゅうです。

礼拝以外で最近、思考実験している御法があります。

訓読経です。

実際は『ゑーろくしいげんどー」から始まる「本経」も含めますが、内容はほぼ同じです。

要はどこにピークにもっていくか、です。

訓読経の場合、私の現段階の思いは「錫杖」の御真言までにピークにもっていき、「役目星様」を突き動かす、です。

これ、以前にも書いたように思います。

でも、どうしても「願文」がピークになりがちです。

私の幼馴染の名言から拝借すれば、各先生の「フリースタイル」がピークになりがちで、そこから更にう上へ上へと上昇していくのではなく、失速してしまっている場合が多いです。

それがいいのかわるいのか、わかりませんが、

『錫杖は、これでもか!これでもか!と振る』

と言われているので、やはり錫杖をピークに持っていくのではないかと、持っていきたいと、思っています。

おそらく、皆さんそういう気持ちでだと思うのですが、実際にでている音が、落ち着いてしまっているように、私には聴こえるのです。

これは何かはわかりませんが、何かしらの時代を反映しているのかもしれないとも、感じてしまいます。

とはいえ、普段の朝の勤行ではいたってフラットにお唱えしています。

これは師匠の唱え方からの影響かもしれませんが、私にとっては理にかなっている唱え方だと自負しています。

要は音程の合わせ方です。

半音同士でぶつかる音でも、音程を探ることによってほどよくブレンドされた音になる。

これは私が学生の時、作曲科の先生が言われた言葉です。

その先生の自作の現代音楽を演奏したので、とても大変でしたが、いい勉強ができました。

さて、経頭の音程を探り、合わせていくためには、普段フラットな状態でお唱えしていた方が、私は合わせやすいのです。

確かに、上に下にと合わせてお唱えできれば、ベストなのですが、どうしても「個」が入ってしまいます。

だから私は、白目向いて、個を消して音を合わせる、くらいの気持ちで合わせています。実は。

因みに、一人の時の訓読経は、人より若干速めが好みで、錫杖も白目むきながら振っている時がなきにしもあらずです。

健蔵くんは、その時の「うおりゃああああ」的に興奮した錫杖の御真言の唱え方が気に入ったらしいのですが、

「あたし…そうそう…そういう唱え方してるわ…」

と、恥ずかしくもありますが、本当はとても嬉しかったりします。

あとで、何故あのような唱え方になったのかも、詳しく説明しようと思います。

〓しょうしゅう〓

2018.04.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

春季大祈祷

本日は春季大祈祷第三日目でした。

どうもしょうしゅうです。

最近、特に御法について思考している時が多く、ボーっとしてしまうので気を付けねばと感じています。

御法について、とは書きましたが、不文律な部分で、自分の動きを統制するために、御法や言念導等に関連付けるというような思考内容です。

例えば、礼拝時にできる三角形は、

『この世はすべて三つの心で成り立っている』

という言念導につながるから、礼拝の三角形は崩さないように礼拝する、というような一見、簡単そうな関連付けです。

とはいえ、これが一番難儀な部分でもあって、一ミリのヅレを10日間、意識しないで放っておくと、一センチ以上のヅレになっているのです。

私にとって、それはもう「礼拝に似た何か」です。

そんなのすぐに修正できるでしょと思うのですが、実は「できない」のです。

礼拝の三角形は念導につながりましたが、その他は自分で考えて試行錯誤する以外はありません。

人によってはそれを「修行」と呼ぶ人もいるでしょうし、くだらないと一蹴する人もいると思います。

いつも、外見は同じでも中身は発展途上、一旦落ち着こうとすると、とんでもないところから発見があるのです。

くだらないと一蹴する人からこそ、貪欲に何かを吸収しようとすると、また新たな発見があったりします。

テレビや本、ゲームの中にだって、幼馴染との世間話の中にだってあります。

そんな事をグリグリ思う、春季大祈祷三日目の神殿当番なしょうしゅうなのでした。

〓しょうしゅう〓

2018.04.10 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日記

4月

まだ3月かあ…

という先月一度だけ更新したブログですが、4月になると年度始まりだからでしょうか、

もう4月なのか…

ってなります。

どうもしょうしゅうです。

朝もだいぶ明るくなって、春眠暁を覚えずなんて言葉が身にしみます。

朝の勤行の時間は4月から夏時間になって、5:30からになりました。

という事は4時〜4時30分位までに起きて、眠気を覚まします。私の場合。

眠気が覚めて、着替えて、すぐに行けばいいのですが、2〜3年前から最後に奥の院をお参りし終わる位の時間に家を出るようにしています。

私の場合、同じような時間に2人〜3人並んで礼拝していると、他人の礼拝のクセが感染ってしまうようなのです。

また、例え感染らないように最後に礼拝していても、正座合掌から礼拝に移る瞬間、礼拝から九字を切る態勢に入るタイミングなど、外見は変わりませんが、中身にかなり気を配らないとならないような気がしています。

早すぎず遅すぎない速度が大切で、早すぎると礼拝が騒々しくなってしまうし、ゆっくりすぎても悪いクセを定着させてしまうので、基本に忠実に中身だけ深く掘り下げていくってのがいいのだと思います。

合掌した手の重さを使って、

と、本当はこの後に10行くらいベチョベチョと書いたのですが、恥ずかしくなって消してしまいました。

〓しょうしゅう〓

2018.04.04 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

十五日会の言念導

「あれ?今、まだ3月かぁ」

とか何故か、つぶやいてました。

どうもしょうしゅうです。

先日の十五日会の言念導のお取り次ぎです。

私達の身近にいる犬や猫は長生きしても二十年ほどの寿命です。

一ヶ月も生きられない虫もいます。

また、千年の時を経た大木もあれば、一年草もあります。

私達人間が生まれてから死ぬまでの時間も、宇宙や地球の時間に比べれば瞬きのようなものです。

教祖おや様のおことばに、

『鳥の心も火水の御恩で生きているため、鳴きながら天地の心様に感謝を告げている』

『竹の心が頭を垂れているのも、天地の心様への感謝であり、植物が花を咲かせているのも、天地の心様に感謝をあらわしている姿である』

『虫の心も土の御恩と火水の御恩に感謝して生きているのである』

『魚は水の御恩で活動し天地の心様に感謝している』

『秋になると木の葉が落ち、草が枯れるのも、天地の心、日の心、水の心の恵みをいただいた御恩を地にかえす心であり、即ちその年その年に天地の心様に感謝をしている姿である』

教祖おや様は、生き物の生態を見て、その生態のすべてが感謝の心に通じていると説かれ、それに比べて、

『人間も同じく天地火水之御恩、日之御恩の恵みをいただいて生活していながら、人間の好き勝手で、これらの動植物を殺生しているので罪をつくっているのである』

と諭されました。そして、

『殺生しただけ罪を受けている』

と戒められ、

『人間は罪の意識なく無意識に殺生している事があるけれど、その罪は重く幾とおりもあって、その心が姿となり、何らかの形となってあらわれてくる』

と説かれました。

人間の場合、『殺生』といって、生命のやりとり以外にも、

「政治家とゴキブリは新聞紙で叩くと死ぬ」

なんて、言葉がある通り、無意識に発した、または良かれと思って発した言葉が、人を肉体的にも精神的にも殺めてしまう場合がある事に気を付けなければならないと思います。

なぜなら、それは、

『その罪は重く幾とおりもあって、』 

ゆえに、

『その心が姿となり、何らかの形となってあらわれてくる』

からであり、その反省の方法というか、見つめ直す方法が、

『われの喉からくだった経文を願っていると、その罪を軽くしていただけるので、天地の心様に一心に願え』

という事であると思います。

それでもまた『その罪を軽く』であり、「なくす」わけではないので、日々の生活から、

『物を粗末にすると、神や仏に一心に願っていても御守護が授からない』

『物を大切にし、火と水の御恩が有り難い事を忘れぬように、家族や子孫に伝えて、光った金を遠くまで光るように使えるようにつとめていけよ』

と教祖おや様は日々の生活の中に、新明国上心様の教えをちりばめ、家族や子孫に伝えよ、と仰せられたのだと思います。

天地阿合、火水の御恩、日の御恩の恵みをいただいているなかで、生きている時間が短い命は軽く、生きている時間が長い命は重い、という事は決してありません。

人間の心は、個人の価値観で物事を捉えると、驕った意識を持ってしまいがちです。

大切なのは生きている時間の長短ではなく、他の生物より以上にさまざまな恵みに感謝の心をもって、新明国上心様の教えを生活の中にちりばめ、伝えられるように、活動しながら、新明国上心様の教えを胸に、よりよい一生を送りたいものです。

〓しゅしゅう〓

2018.03.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

2018年2月

バナナはおえってなるから、嫌いじゃないけど食べられない。

だってドライバナナは好きだもの。

どうもしょうしゅうです。

今月の神殿当番は3日8日15日21日26日でした。

3日は節分祭。

8日は平常運転。

15日は十五日会。

21日は頭髪祭。

本日、26日はおみがき。

事情で交代して頂いた日もありましたが、今月はほぼ行事がある日が神殿当番でした。

特に頭髪祭は信じられない位に役割が多かったように思います。

当日、神殿当番。

午前七時の行事は導師。

新明国上教会の天国法流の真髄、お線香によるこうろく台(一般的には護摩壇といいます)でした。

午前十時半の行事は奉行、拍子木、言念導のお取り次ぎ。

でもこの十時半の時、奉行の関係で色々と調整していたら、拍子木の準備を忘れました。

こればかりは、忘れたのに気づいた瞬間、

「あ〜これは・・・色々こなし過ぎたら、ちょっと色々ありそうだから、とりあえず1個だけ忘れさせられたかな…」

と苦笑いしてました。

まして午前七時半は導師。

そして本来、女性の役割と言われている「拍子木」まで自分の役割の中にあるのです。

「忘れたことを、またうまいこといいよりますなw」

とも言えます。

とはいえ、その分、頭髪祭では教祖御霊前に上がった御膳が頂けます。

そういえば御膳の中に、フキノトウの天ぷらがありました。

もしかして・・・と思ったのですが、実は最近(季節ですな)境内にはえてきたフキノトウを、私がこっそりモギモギして、その時ちょっと体調を崩されていた教主様に届けたものでした。

旬ものを食すのは長生きの秘訣といいますからね。

それが巡って教祖御霊前の御膳にあがっていたので「おぉ〜」と思いました。

そして、今年の頭髪祭では、いつも勉強させて頂いている先生との久しぶりの一献を、御本尊様にあがった御神酒、御本尊と教祖御霊前にあがった鯛、という誠にめでたい組み合わせで頂けたのは幸いでした。

〓しょうしゅう〓

2018.02.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | ひとりごと

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Author:佐藤昭衆
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